|
中京応援部36年
数年前話題になった台湾映画「KANO」に、夏の甲子園初優勝の中京商業が登場します。
昭和6年、夏の甲子園3連覇の1回目の優勝の年です。
中京が決勝戦で対戦したのが台湾の嘉義農林高校。
この映画の中京との決勝戦に、中京応援団のシーンがあります。
いかにも統率の取れた中京らしい?応援団なのですが、
残念ながら、この応援団は架空のものなのです。
戦前の中京は春9回(昭6年初出場)、夏4回出場(同)。
春優勝1回、準優勝2回。夏優勝4回という素晴らしい成績で、
応援団(部)があってもよさそうなものでした。
しかし、個人のリーダーが音頭を取っての応援はあったようですが、
組織としての応援部はありませんでした。昭和6年当時、組織としての応援部があったのは、
東京六大学、早稲田、慶応、明治の3大学、と記録には載っています。
私が37年応援団長Fさんから聞いた話では、
中京に組織としての応援部が創設されたのは、昭和26年春、
戦後、中京が初めて甲子園に出場した時だったそうです。
昭和61年を最後に応援部は解散、以降は野球部が引き継ぎますので、
組織としての応援部の歴史は36年。2年続けて団長を務めた人もいますが(19、20代頃)、
昭和61年団長は、36代中京応援団長ということになります。
|
|