一般社団法人 友 心 社



カテゴリ:[ 子供/学校/教育 ] キーワード: 皇室・憲法・政治・思想・愛国・ 国旗・国歌・軍事・安全保障・時事・ 領土・朝鮮・支那・歴史・大東亜戦争・慰安婦・核兵器


159件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[162] 「北鮮問題、米国の本気度は?」

投稿者: 理事 投稿日:2017年 9月16日(土)19時48分37秒 KD121108200249.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「北鮮問題、米国の本気度は?」
現在、米海軍が保有している空母は11隻、艦艇の一生は就役期間の三分の一が任務、三分の一が訓練、三分の一が入渠整備、乗員の休養と為っている。
扨と、北鮮問題に対する米国の本気度は・・・・・先ずは現状として米国は北鮮に利権無し、中東の様に利権が在れば即応で動くであろうが、利権が無い故に巨額の戦費を投じての軍事行動には国内を納得させる大義名分が必要。
現状としては、度重なる弾道ミサイル発射実験、核実験を繰り返しているが、彼の国の国力を知り尽くしている米国には、差し迫った脅威では無いのかもしれない。
寧ろ、裏で糸を引いている支那とロシアに注目しているのでは無かろうか?支那は海南島に潜水艦基地を構築、南沙・西沙に侵略の毒牙を伸ばし橋頭堡を構築し着々と設備を強化している。
此れは、八年に及ぶヘタレオバマの軟弱政策のツケ廻しが、シリアをテロの巣窟に変え、南沙・西沙に橋頭堡を作った支那に拠り自国の喉元に匕首を突き付けられる結果となってしまった。
日本海、朝鮮半島周辺での合同演習は単なる北鮮への威嚇、もしも本気で北鮮を叩く気ならば、朝鮮半島近海へ三隻の空母と随伴艦隊を派遣したであろう。
何故に三隻?攻撃機を発進してしまえば空母は丸腰に近く、運動性の悪い空母は格好の標的、その為の直衛艦隊を随伴するが陸上基地から発進した航空機に対する護衛の為、直衛戦闘機を上空に待機させる若しくは、速発信出来得る体制が必要で、当然ながら一隻の搭載機では其処まで賄いきれない筈、此れが本気ならば三隻体制で臨むであろうと言う所以である。
三隻と言う数は、保有隻数から考えれば三分の一、即ち「総力」を以って臨むと言う事でも在る。
現状は、支那の北鮮に対する制裁や裏の動きの様子見、支那は北鮮を山車に南方の橋頭堡固めに走っている筈、故に北鮮に対しては表向きの顔と裏の顔が在る筈、何れは軍事行動に移るであろうが、支那をターゲットにした方が国内世論を戦闘行動容認へ導く為には容易な筈で在り、北鮮と支那を一挙にねじ伏せられ一挙両得の筈。
米国にとっては、パンク寸前の乞食国の弾道ミサイルや核実験よりも、支那が南沙・西沙に潜水艦基地を構築してしまうと自国がSLBMの射程内へ入り脅威の筈である。
日本にしても然り、石油此の他輸入品の搬送のシーレーンの安全を脅かされる事になる訳であるから。




[161] 「北鮮弾道ミサイル・核実験と支那」

投稿者: 理事 投稿日:2017年 9月16日(土)19時45分18秒 KD121108200249.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

日本のメディアは、挙って「九官鳥」の様に北鮮の弾道ミサイルや核実験を騒ぎ立てている。
確かに「脅威」に違いは無し、しかし冷静に考えてみるならば北鮮に隠れてゴソゴソ蠢いている魑魅魍魎「支那」を忘れてはいまいか?
北鮮のミサイルも平成十年代とは格段に進化、以前は半島東岸からの発射が、半島西岸へと変わった、此れの意味する事は機材に対する自信の現れ、同様に燃料も液体から固形へと変わった様で、固形燃料へ移行されると発射前兆が掴みづらくなる。
これ等、一連の行為は若年の首領、其れも「三代目」好い加減なでっち上げの栄光や能力は付け辛く、叩き上げの幹部に求心力は無い筈、故に粛清に拠り力で抑えつける事、外国の圧力に五分と五分の話し合いの場を作り出す事が己の存在感を作るもので、此の為の核実験、弾道ミサイルによる威嚇で在ろう。
幾らバカな為政者でも、自国の現状国力は知っている筈、米国と対峙して「出入り」を構えた場合にいかなる結果を生むかと言う事も知っている筈、半島の三十八度線を越境し南鮮へ侵入した場合は、米国が中核になるであろうが国連多国籍軍と矛を交える羽目に、この結果も予想が付く筈である。
日本を的に掛けた場合、米国が何処まで遣るかと言う疑問符は残るものの、米国が「主敵」と為って矛を交える、此れも結果の予想は容易に付けられる筈。
一連の弾道ミサイル実験、核実験に対する「制裁」と言うが、実際に現地を訪れた方の講演を昨年聞いたが、地続きに国境を接する支那との国境「鴨緑江」に掛かる「鴨緑江大橋」の交通量は、制裁前と制裁後で全く変わらず、北鮮の経済事情は寧ろ「右肩上がり」を見せていると言う。
支那と言う国は「法よりも賄賂優先」「銭の為なら何でも在り」「中央の統制が末端の地方都市まで目の届かん国」故に、制裁を承諾した処で「ザル制裁」と言う結論になる事も自明の理。
支那に関しては、視点を変えて見ると別の面が見える筈、其れは現在、侵略の毒牙を伸ばしている南方地域である。
裏で北鮮へ銭を出し、上手く利用して周辺国の目を逸らせて南沙、西沙、海南島の橋頭堡を確固たる軍事施設とする事、既に海南島には潜水艦基地を構築済み、前哨基地として南沙・西沙を強固な軍事施設にする事、尖閣周辺のEEZスレスレに作られた自称「ガス田」の軍事施設化と言う事の隠れ蓑にしていると考えれば、話の辻褄が合う筈。
この様に考えれば北鮮よりも支那の侵略している南方地域へ目を向けるべきであり、この地域は我が国の資源輸入を司る「シーレーン」に接する場所ても在り、此方の方が深刻では無いのか?
米国も、八年に及ぶ「ヘタレオバマ」の軟弱政策のツケが、南沙・西沙に於ける支那の橋頭堡構築、此れが確固たるものと為れば、米国は支那のSLBMの射程内へ収まって終い、太平洋上へ展開されては何処から打ってくるか分からないと言う状況へと墜ちてしまう筈、その様に考えるならば逆に北鮮を山車にして支那を叩くと言う方向性へ米国が走る事も予想の範疇で、極東地域の安定には此れが一番効果的な方法論と考える。
我が国も、尖閣周辺への支那の領海侵犯、領空侵犯が頻発し、太平洋岸まで支那の重爆が侵入する現状に鑑みるならば、南方へ目を向けて支那を如何に叩くかと言う方策を考えるべきであろう。



[160] 8.15に思う

投稿者: 理事 投稿日:2017年 8月15日(火)12時07分19秒 KD121108200249.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

毎年、この日に為ると「終戦記念日」と宣い、鳴り物入りの大騒ぎ。
先ずは今日この日が何の日であるか?容共ルーズヴェルトの画策で売られた喧嘩を悲壮なる覚悟を以て受けて立ち、前日14日「ポツダム宣言受諾」に拠る全面降伏を決定し、力及ばず「敗戦」が確定して、此れを先帝陛下が臣民と全軍に対し通達された日が昭和20年8月15日で在り、敗戦確定の日を「記念日」とは何事ぞである。
世界広しと言えども、力及ばず戦に負けた恥ずべき日を記念日と称している国は皆無で在ろう。
そしてこの日、戦没者慰霊は解るけれども賑々しい祭典に「不戦の誓い・・・」「平和の誓い・・・」とは何事か、先の戦争が「侵略戦争」で在り「悪」であったと言う進駐軍の刷り込み其の儘では無いのか?売られた喧嘩を悲壮なる覚悟で受けて立った「防衛戦争」が先の戦争の真実の姿、其処に命を賭けて戦い亡くなられた英霊が居られる事、軍人にとって「力及ばず戦に負ける事」即ち「恥ずべき事」力及ばず敗戦の確定したこの日為ればこそ、心静かに感謝の心を以て国難に殉じ国家に命を捧げた方々の御霊の安寧を祈るべきが本来の姿と考える。
今一つ付け加えるならば、8月15日は「敗戦確定」の日では在るが「終戦」でも「停戦」の日でも無い。
この日より18日後、昭和20年9月2日に相模湾上の米艦ミズーリ二於いて「降伏文書調印」の為された日を以て「停戦発効」此れより6年8ヶ月に及ぶ長い自治権無き占領下に日本国は置かれるもので在る。
この状態は、単に全面降伏に拠る「停戦状態」と言うべき状態で在り「終戦」と呼べる状態では無いと考える。
然らば、終戦とは何時ぞや?講和条約調印、条約発効に拠り占領が解除された昭和27年4月28日を以て「終戦の日」と言うべきでは無いのか?



[159] 「押しつけ憲法記念日?」

投稿者: もぐらの小父さん 投稿日:2017年 5月 2日(火)20時54分51秒 KD121108200249.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

明日5月3日は、進駐軍即席押しつけ憲法施行の忌まわしき日。
新緑の日比谷公園周辺には「ゴケンムシ」「ハンセンゼミ」が集って来て五月蠅く囀る・・・・・
ゴーケンヘイワ~ゴーケンヘイワ~マモレーマモレー
ハンセンヘイワ~ハンセンヘイワ~アベガワルイ~アベガワルイ~
変な虫ばかりでは無く「生毛物不働」と言う企業恐喝を国家から許された、新種類人猿の集団も集まってくる。
暫し、囀った後はシラミを撒き散らしながら、普段は「税金泥棒」とか「官憲のイヌ」と蔑んでいる警視庁機動隊の手厚い警護で市中を這い回る、何とまぁ、迷惑この上なし。
結論で御座います。
?はぁ~憲法九条で平和が来れば~?
? 焼いた魚も泳ぎ出し~電信柱に花が咲く~?
?はぁ~軍備放棄で平和に為れば~?
? お天道様が西から昇り~ゴビの砂漠で鯨が泳ぐ~?



[158] 「震災から六年」

投稿者: 理事 投稿日:2017年 3月11日(土)15時50分13秒 KD121108200249.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

東日本大震災の悪夢から早や六年が過ぎた。
民放各社は軒並み「特番」ラッシュ、面白半分の報道にしか見えないのは我々だけであろうか?何故か当時の内閣の失態による人災については触れようとしない、左傾メディアが左傾政党を擁護するのは致し方無しか・・・・・
3.11、春秋の叙勲と何時も我々が思う事、其れは最後まで防災放送を流し続け津波に呑まれた南三陸町の職員、彼女は最後まで自らの任務を全うし命を落とした。
そんな彼女に対する叙勲の話が出てこないのは何故であろうか?叙勲の値打ちすら無い議員・首長その他大勢、一体何の為の叙勲制度なのであろうかと考える方は幾人ぞ・・・・・・・



[157] 百害在って一利無し

投稿者: 理事 投稿日:2017年 2月26日(日)19時47分10秒 KD121108200249.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「労組が自民支持へ?」
数日前にネットで(ネタ元は忘れたが)「連合傘下の一労組が民進党を見切り自民支持へ」と言うのを見たが、自民支持者としては危惧以外には無い。
何故ならば、先日の投稿に「労組」の件を書いたが、元々が左傾思想を根幹として居る集団が何故故に「自民支持」へ舵を切ったのかが第一の疑問。
第二には、労組と言う組織が公然と支持を表明し「票田」と化す事への危惧である。
「サルは木から落ちてもサル」と言うが、議員は選挙に堕ちれば唯のクズ(極一部の志ある議員は別物として)即ち選挙の票睨みで動かれては企業は堪ったものではあるまい。
労組と言う組織そのものが、「自己利益追求」の集団で在り、企業・雇用主の経営状態に関係無く「賃上げ」「待遇改善」を示威行動を以て要求し、最終的には「解決金」名目で企業から金を強請取る集団、謂わば「生毛物不働(怠け者働かず)」の集団であり、こう言う集団が自民の票田に為ると言う事は、行く末企業や雇用主に取り不利益は自明の理、思想的に反対岸の集団が票田に為ると言う事は、自民の金珠を握っている池田イヌ作公明党に加え、更に己の懐に邪魔者が増えると言う事に為りはしまいか・・・・・
タレントのミーちゃんハーちゃんが時流で当選ならば「改憲の為の評決の一票を持つ部品」として、何も考えずに「部品」の役割を果たしてくれれば良いと諦められるが、党の支持団体と言う事と為れば全く話は別物である。



[156] 特亜三国の共通性

投稿者: 理事 投稿日:2017年 2月 4日(土)19時59分23秒 KD121108200249.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

1、傀儡国家として成立
 元々、その地に住む民族・部族や移民者が歴史背景及び理念に基づいて自らの意志で成立させた国家では無い。
「支那」
支那最後の王朝「清朝」が崩壊後混沌とした世情、帝政ロシア崩壊に拠り「ソ連」と言う共産国家が成立し、旧ソ連の国際コミンテルンの「世界共産化」と言う策謀の一番手近な標的とされ、旧ソ連の支援する「共産軍」対「国民党軍」の構図に駐留して居た日本までが引きずり込まれ、最終的には日本の大東亜戦争敗戦に拠り、旧ソ連の強大な軍事力の後押しで国民党を駆逐して、共産主義傀儡国家として成立。

「北鮮」
支那の家畜以下の「属国」と言う存在では在ったが、元々は南北一つの国家を形成、この形態は日韓併合後に拠り支那の家畜から解放後も同様であり、併合に拠り教育普及、農業・工業技術移入、インフラ整備等近代国家の礎が出来上がった。
大東亜戦争末期に米・英・ソに拠る「ヤルタ会談」に於ける「極東密約」に拠り、旧ソ連と米国の利権に拠り、二分の一に分断され旧ソ連の後押しで成立した共産主義傀儡国家。
米国は「防共」と言う観点から考えるならば、朝鮮半島全域を米国の占領下に置くべきであったが、我が国領土の千島列島・樺太のソ連への割譲と共に容共思想で病膏肓に入るルーズベルトが後世に残した罪科である。

「南鮮」
元々は一つの国家で在った物を、前述の経緯で米ソの利権の為に二分の一に分断され、米国の後押しで成立した民主主義を標榜する米国傀儡国家。

2、抑圧の国家
程度の軽重の差は在っても抑圧の国である事は否めぬ国であり、近来の報道を見て行けば容易に分る筈。

「支那」
自国民に対する「思想統制」目的の弾圧は言うに及ばず「開放」と言う大義名分で侵略し「自治区」としている小国・少数民族をも自らの支配下とし、思想統制の為の弾圧を繰り返している。
国家元首が「左を向け」と指示したならば、それ以外の方向を向く民は投獄・殺害の対象と成る。

「北鮮」
共産主義独裁国家でも特異な形で、一家一門の世襲に拠る国家元首が独裁政権を敷き、自国民を完全な思想統制下に於き、元首一門を賛美する者以外は粛清の対象で、支那に同じく元首が「左を向け」と指示したならば、それ以外の方向を向く者は粛清の対象。

「南鮮」
民主主義を標榜しているが、或る程度の思想統制が存在する抑圧の国家である事は否めない。
以前には「反共」を基調として思想統制をおこなっていた様であるが、近々には彼らの「捏造歴史批判」も弾圧対象の様である。
まぁ、元首が「右を向け」と指示して、恍けて真直ぐ向いている位までが許容範囲と言う処。

3、砂上の楼閣
程度の軽重は在れ、抑圧の国家である事は否めぬ事実、故に政権維持の為に国民の不満のはけ口を設けなければ政権維持すら危うく、空想でも何でも外敵を作る。
支那・北鮮・南鮮に共通する「国民不満のはけ口」が捏造歴史を根拠とした「反日」と此れに付帯した金銭の強請集りである事は明白。
北鮮は、反日にプラス国威発揚で不満の目を逸らせている。
初代は「抗日パルチザンの英雄」と言う捏造経歴で飾り立て、捏造した建国史で取り繕えても世襲で代を重ねて行く毎にその重みは薄れ、側近の容赦無い粛清と言う恐怖で抑え込み、弾道ミサイルや核実験で国威発揚に走っている様は、支那の少数民族弾圧や海洋覇権、領海侵犯行為に同じくでは無いのか。



[155] 1月28日は竹島の領土編入閣議決定の日

投稿者: 理事 投稿日:2017年 1月20日(金)20時59分32秒 KD121108200249.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「竹島の歴史事実」
 今日では、韓国により実効支配されてしまっており、これに対して何らの実効的な対処が為されていないと言う点では北方領土に似通った部分がある。
 竹島の概要から説明して行くならば、先ずは所在位置で、北緯三十七度十五分、東経百三十一度五十二分の日本海上に浮かぶ島嶼で、東島(女島)と西島(男島)と呼ばれる二つの小島に、この周辺を囲む大小三十七の岩礁から成るもので、総面積〇・二三平方キロメートルと東京の日比谷公園と同程度の面積の島である。
 亦、周囲は断崖絶壁に囲まれており、人の居住を許す環境では無いが、韓国が領有権主張の為に現在では(平成十八年時点の資料に拠る)軍に順ずる装備を保有する武装警察官(獨島警備隊)四十名が駐留している。
 竹島も亦、我国固有の領土である事は揺ぎ無き事実であるが、何故に韓国が実効支配してしまっているものか、歴史的背景を見て行くならば、一六一八年に米子の大谷甚吉、村川市兵衛らが幕府から許可を得て竹島(当時は松島と言った)に渡ったのが始まりである。
 一六九二年に鬱陵島(当時は竹島と言った)へ出漁した大谷・村川の一行が朝鮮人と遭遇し、翌年にも遭遇し、安龍福と朴於屯の二名を米子に連行したのがきっかけで、日朝間の紛争(竹島一件)が発生した。
 韓国側(当時は李氏朝鮮の時代)では一九〇〇年十月二十五日大韓帝国勅令四十一号で鬱陵島を江原道の郡に昇格し、同時に石島(獨島?)を韓国領としたが国際的に認められる根拠は無く、国際法上実効支配した者の無い島や岩礁は最初に発見した者に領有権が在るとされており、前述の経緯に照らせば明らかに日本の領土であると明言できる。
 韓国側の言う処の「独島」とは、現在不法占拠を続けている「竹島」とは別の島で在り、既に海没した岩礁で在る。
 一方、日本側では一九〇四年九月二十五日に島根県の中井養三郎が内務省及び外務省に対し「りゃんこ島領土編入並びに貸下願」を提出、一九〇五年一月二十八日に閣議で竹島と命名し、島根県壱岐島司の所管としたのが大東亜戦争以前の大まかな経緯である。
 大東亜戦争敗戦後、一九四五年九月二日にポツダム宣言を受諾し、一九四六年一月二十九日連合軍最高司令官総司令部覚書六六七号及び同年六月二十二日同覚書一〇三三号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」により、日本海に一方的に引かれた線引きが俗に言う「マッカーサーライン」であり、後の一九五二年(昭和二十七年)一月十八日に韓国により一方的に設定された日本海上の線引き、いわゆる「李承晩ライン」は前述の「マッカーサーライン」をなぞったものであり、この一方的な線引きは国際法上及び国際慣習に反すると言うものが、中共を除く国連常任理事国の見解である事を忘れては為らない。
 一九五三年六月二十六日に日本側が竹島に「日本国島根県壱岐郡五箇村」の標識を立て、韓国の守備隊六人を追い出したが、その後七月には再上陸した韓国の獨島守備隊が海上保安庁の巡視船に発砲する等、一九六五年(昭和四十年)の李承晩ライン廃止迄の十三年間に日本漁船を銃撃したり拿捕した数及び犠牲者数は次の通りである。
「昭和27年から昭和40年迄の拿捕及び死傷者数」
拿捕漁船・・・・・・・・・三百二十八隻
抑留者数・・・・・・・三千九百二十九人
死傷者数・・・・・・・・・・・四十四人
 一九五四年九月二十五日には日本が国際司法裁判所へ、竹島の領有問題を付託する事を韓国側に提案したが、韓国側はこれを拒絶し、一九五三年以降は竹島の武装化を進め、最近では有人灯台設置や五百トンクラスの船舶が接岸可能な港湾施設の設置等不法占拠を続けており、韓国の行為は国際法や国際慣習を無視した蛮行である。
 今ひとつ忘れて為らない事は、韓国大統領が李承晩から朴正熙へと代わり「日韓漁業協定」締結により李承晩ラインの廃止と日本人抑留者の返還に対する日本側の代償は、日本国内で収監されている、在日韓国及び在日北朝鮮籍の常習的犯罪者及び重大犯罪者四百七十二人の無罪放免と、前述の犯罪者達に対する特別在留許可を与えた挙句に韓国に対する技術及び経済援助を与えると言う、理屈に合わない当に「盗人に追い銭」である。
前述の犯罪者放免及び在留許可付与は、自国の在外犯罪者をその居住国に於いて「野放しにせよ」と言う、文明を持った近代国家の考えとは思えない常識を逸脱した要求であり、これに屈した日本政府も「腰抜け」の謗りを免れる事はできまいと考える一方で、韓国の要求を非難する事なく容認した国際社会もその責任を免れる事はできまい。
戦後占領下から日本の独立を明らかにした「サンフランシスコ講和条約」に於いても竹島の領有が日韓何れに帰するものかは述べられて居らず、韓国の主張は一方的としか言い様が無い。



[154] 1月14日は、尖閣諸島領土編入閣議決定の日

投稿者: 理事 投稿日:2017年 1月13日(金)17時31分31秒 KD121108200249.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

尖閣諸島の存在は古代より知られており、古代日本及び古代支那の文献にも度々登場していた。
此処で「古代支那」と表記したのは、現代の国家である中共は建国六十数年であり、これ以前の古代に中共としての国家の存在は無く、大東亜戦争以前については「支那」と表記する。
古代に於いて琉球は支那と朝貢貿易を行っており、琉球王朝の為政者が代替わりする度に支那との間を往復しており、琉球と支那の福州の中間点に位置する尖閣諸島は、彼らの海路の目標とされていたが、それらの時代に於いて支那人が尖閣諸島に居住していたと言う記録も無ければ、支那の各時代の王朝がその領有権を主張していたと言う記録も存在していない。
一方では日本側も同時代に尖閣諸島についての領有権を主張していた記録も無く、国際法上で言う処の「無主の地」であった事も事実である。
「無主の地」である尖閣諸島に最初に足を踏み入れたのは、一八八四年(明治十七年)に古賀辰四郎と言う日本人であり、同氏は翌一八八五年(明治十八年)に同島の貸与願いを申請した。
日本政府は沖縄県を通じ度々現地調査を行う中、周辺海域で漁業を行う漁民も増え、尖閣諸島が日本の領土である事を示す国標を建てるべきか否かについて沖縄県より上申書が提出されたが政府内で検討の結果は国標を建てて開拓にあたるは他日に譲ると言うものであった。
後の一八九五年(明治二十七年)一月十四日の閣議決定に拠り尖閣諸島を日本の領土に編入し、この処置が歴史的には尖閣諸島に対する最初の領有行為であり、「無主の地」を領有の意思をもって占有する国際法で言う処の「先占」にあたり、正当に認められている領土取得の権原の一つである。
日本政府は、尖閣諸島を沖縄県八重山郡に編入した後、一八九六年(明治二十八年)九月に、以前から貸与願いを出していた古賀辰四郎に四島(魚釣島・久場島・南小島・北小島)の三十年間無償貸与の許可を与えた。
古賀氏は尖閣諸島の開拓に着手し、貯水施設、船着場、桟橋等の建設を進め、アホウドリの羽毛の採取や鳥糞の採掘等を主な事業にして「古賀村」が生まれ、これが尖閣諸島に於ける最初の居住である。
大正期に入ってからは鰹節の製造や海鳥の剥製製造が行われ、最盛期には、漁夫や剥製職人等が約二百人近くが居住していた。
一九一九年には支那の福建省の漁民が魚釣島付近で遭難し、同島に避難した三十一人を住民が救助し、全員を支那に送還した。
この救援活動に対し、支那(中華民国を指し、現代の中共ではない)長崎駐在領事から一九二〇年五月二十日に感謝状が届けられ、この感謝状には尖閣諸島がはっきりと日本領として記載されており、大東亜戦争迄は中断する事無く日本による実効支配が行われてきた事実がある。
一九四五年(昭和二十年)の日本の敗戦により、連合国のカイロ宣言(一九四三年十一月)やポツダム宣言(一九四五年七月)の適用を受け日清戦争の権益として割譲を受けた、台湾やその付属島嶼及び膨湖列島の領有を放棄したが尖閣諸島は含まれておらず、沖縄の一部として米国の軍事支配下に置かれる事と為った。
一九五一年(昭和二十六年)九月に調印されたサンフランシスコ講和条約により、尖閣諸島を含む北緯二十九度以南の南西諸島は米軍の施政権下に置かれる事となり、米国は一定の地代を日本に支払う事と引換えに尖閣諸島大正島と久場島を米軍射撃場として使用してきたが、一九七二年(昭和四十七年)五月十五日に発効した沖縄返還協定により尖閣諸島の施政権は日本側に返還され、現在に至るものである。
一方で支那は一八九五年(明治二十八年)から中共へと変遷する一九七〇年(昭和四十五年)代に至る七十五年間(日本の大東亜戦争敗戦後の二十五年間を含む)も全く領有権を主張せず経過してきたが、国連アジア極東経済委員会の一九六九年(昭和四十四年)五月に公刊した報告書に記載の「石油天然ガス海底資源」埋蔵の可能性を俊敏に嗅ぎ付け、台湾及び中共は一九七〇年以降領有権を主張し始めた。
中共の尖閣諸島の領有に関する主張の中心点は、尖閣諸島は台湾に付属する島嶼として中共固有の領土であると言う点にあるが、日清戦争で日本が割譲を受けた、台湾とその付属島嶼及び澎湖列島には尖閣諸島は含まれて居らず、日本が尖閣諸島の領有権を主張したのは一八九五年(明治二十八年)一月十四日であり、台湾、澎湖列島の割譲を取り決める講和条約交渉開始よりも三ヶ月以前のことである。
下関条約の割譲範囲は「台湾全島及びこの付属島嶼」「澎湖列島即ち英国グリーンウィチ」東経一一九度乃至東経百二十度及び北緯二十三度乃至北緯二十四度の間にある諸島嶼」と規定しており、尖閣諸島に付いては一切言及しておらず、下関条約締結に至る交渉過程に於いて、台湾とその付属島嶼及び澎湖列島の割譲要求に対して支那の代表者は強く抗議していたが、尖閣諸島に関しては何ら触れる事無く終わった。
仮に、支那が尖閣諸島の領有権を認識していたならば、尖閣諸島の割譲に強く抗議したであろう筈であるが、その様な事実は無く、公開されている当時の議事録からもその様な発言が在った事実は見て取れず、疑問の余地は無い。
中共の尖閣諸島に関する領有権主張は、国際法理に基いても無効であり、日本の領有である事は国際法理と歴史が証明する厳然たる事実であるにも関らず、今日中共が領有権を主張するのは前述の海底資源に目を付けた「乞食根性」と「覇権主義」に拠る処及び日本の弱腰且つ軟弱なる外交姿勢に付けこまれての事は言うまでも無い事実である事は、米軍の施政権下に於いては一切の領有権主張をしなかった事からも容易に見て取れるであろう。
平成二十二年十月には尖閣諸島で領海侵犯の上、操業していた事を警告した海上保安庁の巡視船に体当たり攻撃を仕掛けたのも中共である。
然るに、当該船舶を拿捕し、船長以下の乗組員を公務執行妨害及び器物損壊等で逮捕したが、極左暴力集団OBと企業の健全発展を阻害する「赤い蛆虫」及び反日主義者の集まりである民主党政権は、ソソクサと船体を返還し乗組員も釈放、船長までも釈放、事も在ろうかチャーター機で領海侵犯の犯人を出国させてしまうとは、国家の主権を何と考えているものか「馬鹿につける薬なし」とは良く言ったものである。
この一件が齎せた弊害は計り知れず、現に竹島に於いても警備隊の増強や北方領土にロシア大統領が訪問する等、主権亡き国家として走り始めさせた馬鹿共、即ち「赤い妖怪・仙谷」「朝鮮献金・前原」「三代目馬鹿・鳩山」「日教組・輿石」「中核派・管」「核マル・枝野」朝貢外交の先鋒を切った「朝鮮・小澤」ら民主党の責任は重大で何をしても償う事はできない。



[153] 謹賀新年

投稿者: 理事 投稿日:2017年 1月 1日(日)00時14分39秒 KD121108200249.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

皇紀二千六百七十七年丁酉元旦
皆様方の御多幸をお祈り申し上げます。


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